現代社会にいがめられた心(コラム6)

華道専慶流いけばな・西阪慶眞


 この春、梅に始まり桜、牡丹、しゃくなげ、藤、杜若、バラなど有名鑑賞地を追いかけ、その姿をカメラに撮めてきた。今年は事前に現地に電話するなど情報を随時入手していたこともあって、空振りにあわずに済んだものの花の鑑賞期は短く、最高の開花状態に合わせるのは難しいものです。私は自由業なので比較的フリーとは云え出られる日は限られ、ましてや天気の状況など考えると、ベストな環境下でそれぞれの花達と語り合えるのはごく「まれ」。桜、バラなどは快晴の青空に映える。牡丹、しゃくなげ、藤などはやや曇り。あじさい、杜若、花菖蒲などは少量の雨まじりの明るい曇り日がいい。

 現地に出向くと最近、カメラマンの姿がやたら目立つ。それも男性が圧倒的に多い。ただ、以前と異なり著しくマナー低下しているのに気付く。多分どこかのカメラクラブの団体なのだろう、一般鑑賞者の迷惑を考えない我が物顔で占有する。大きな三脚を所かまわず設置し、あちらこちらを踏み荒し、大切な植物の根を痛める。そんなことだから「カメラお断り」の場所が増加し、私は三脚を使わないからと云ってもカメラの携帯さえ拒否する景勝地が出始めているのは困ったことである。

 サラリーマンを定年退職、カメラに趣味の道を拓き、植物を被写体に選んだまではいいのだが、1、打算勘定人生 2、コンクリートジャングル生活に染められた感覚はなかなか抜けきらない。

 1は最も大切な人と人、人と物、人と植物をいかに大切にすべきかと云う本来の人間愛を損なわせ、2は無味乾燥のぎくしゃくした暮らしから自然を受け入れる感受性までも麻痺させてしまったのです。

 カメラを手に一見親しく植物に接しているようだが、実は蝉の抜け殻ではあまりにも悲しい。

 愛するとは見つめること。愛されるとは見つめられること。私達は感受性の高い人間形成を目指して「はな」の道をさらに精進したいものです。

バラ 専慶流
花材・バラ、モルセラ

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